私が心がけてきたことは、たとえその歩みは遅くても時間がかかっても、間違いなく良くなるという道を歩いてきたことだけです。
おかげさまで、今現在、ああしておけばよかったとか、こうしておけばよかった、というような後悔の念は一切ありません。
【所感】
後悔の念、大いにあります。(笑) だから今後、後悔しない人生、幸せと思える人生を送るためにも、このように毎日、鍵山先生の考えをちょっとでもかじることにしています。
それぞれが勝手なことばかりしていると喧嘩になります。
どちらか一方の人が少し相手の立場になって考えれば、喧嘩になりません。
お互いができるだけ譲り合って喧嘩をしないことです。仲良くすることが、言い人生を送るためにもっとも大切なことだと思います。
喧嘩をしているうちは、人生も家庭も会社もよくなることはありません。
// 所感 //
自分のことばかり考えず、常に相手や周りのことを考えれば良いことですね。
結果主義は「終わりよければすべてよし」という考え方です。この考え方には、誠意が感じられません。事実、結果を追うあまりあの手この手を使い、ついには犯罪まで犯すようになります。
この考え方が、今の世相を悪くしている大きな原因です。一方、プロセス主義は方法と手段人重きを置いて、その過程を大切にする生き方です。私も目指している生き方です。
独立した途端、思いかけず冷たい対応をされたのが、もっとも信頼していた仕入れ先でした。
人の心というものは、まことに不思議なものだと思います。
その仕入れ先も、当社が順調に発展するにしたがって、挨拶に来て下さるようになりました。現在、昔のことは一切触れず、大切な取引をさせていただいております。
相手の信頼を得て、相手を許す心をもつ、ということですね。でも挨拶に来たとき、昔のこと言いたくなるよなぁ。(笑)
いや、ぐっとこらえよう。
「躾」とは、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」を指示・命令でやったり、規則でやったり、当番でやるというのではなく、習慣として身に付けることです。
やらずにおられない。どうしても気になる。無意識のうちに、自然と、いつの間にかからだが動いている状態。
このような習慣を身に付けるといことが「躾」の意味です。「躾」が定着すると、社風がよくなります。
(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)
[所感]
子供の頃についた「躾」はあると思います。それはそのままとして、大人になってから「躾」を身に付ける事は、意外と難しいと思います。しかし最近身についたかなぁと思うのは、
「靴をそろえる」
「イスを入れる」
ということです。たまにカミさんに指摘されますけど。(笑)
私も友人、知人が車で帰るときは、見えなくなるまで玄関先にいます。
また、カミさんが自転車で家を出るときも、見えなくなるまで玄関先にいます。見えなくなる瞬間、カミさんは手を振るので私も手を振ります。
もともと才能のない私がこの世で生きていくためには、次の二つしか選択肢しか考えられませんでした。
一つは悪いことをして何かを得ること。あと一つは、誰にでもできる平凡なことを徹底していくこと。
悪いことをする度胸のなかった私は、平凡なことを徹底して今日までやってきました。結果において、思いもかけない大きな力をいただきました。
[所感]
私も悪いことをするわけにはいきませんし、したくありません。地道なことを徹底してやるしかないですね。